三菱養和会について

三菱養和会について

概要

名称
公益財団法人 三菱養和会
(英文名 Mitsubishi Yowakai Foundation)
所在地
〒170-0002 東京都豊島区巣鴨2丁目8番1号
TEL 03-3576-9112
設立
昭和15年11月28日
代表者
理事長 石原邦夫
目的
本会は、養和の精神により、スポーツの普及振興を通じて、国民の心身の健全な発達に寄与し、豊かな人間性を涵養することを目的とする。
事業内容
[公益目的事業]
  1. スポーツの普及および選手の育成並びに健康増進に関する事業。
  2. スポーツの普及振興に関する助成事業。
[収益事業等]
  1. 三菱グループ会社およびその関係会社の社員等を対象にした
    スポーツ施設の運営等に関する事業。
  2. スポーツ施設の運営に付帯する事業。
役員定数
評議員 10名以上18名以内
理事 10名以上18名以内
監事 3名以内

情報公開

「公益法人等情報公開共同サイト」にて公開しています。

沿革

三菱養和会の発祥

三菱倶楽部

三菱養和会の発祥

三菱養和会の発祥は、1914年(大正3年)9月創設の三菱倶楽部まで遡ります。
三菱合資会社の三代目岩崎久彌社長を会長に、岩崎小彌太副社長を副会長として創設された同倶楽部は、三菱社員の親睦、体育の向上が目的でしたが、単なる会社の福利厚生ではなく、社員の精神的修養、人格の錬磨を掲げていました。

岩崎小彌太による財団法人三菱養和会の設立

1940年(昭和15年)11月に三菱合資会社の岩崎小彌太社長は社業から三菱倶楽部を分離・改組して、独立の組織「財団法人三菱養和会」を設立し、自ら初代会長に就任しました。
その設立の経緯とその根本精神を「三菱養和会設立に際して」および「三菱養和会教条」で説いています。また、三菱養和会の名称は岩崎小彌太会長が定めたもので、この成語の典拠を訊ねてみると「後漢書」周槃伝に「神(しん)を嗇(おしみ)て和を養う。栄利を以て其の生術を滑(みだ)さず」(つまらぬことに心を使わないで、精神を立派な目的のために用い、人の和を成し、功利栄達にのみ心を労して人の道を誤ってはならない)とあり、また、聖徳太子の憲法17条の劈頭に「和を以て貴と為し忤(さから)ふ無きを宗(むね)と為す」とあります。いずれも「養和」の大切さを説いたものです。
岩崎小彌太社長の事業観は「事業は国家社会に奉仕すべきものであり、事業の盛衰は人にあり、社員の人格の養成が事業の隆盛を齎らす」との信念に基づき、それは「人の和」にあるとされました。これが岩崎小彌太の事業哲学であり、三菱養和会が設立された所以であります。

岩崎 小彌太氏 / 1879年(明治12年)〜1945年(昭和20年)

岩崎彌之助(三菱合資会社二代目社長)の長男として生まれる。 東京帝国大学に入学、英国に留学し、ケンブリッジ大学にて学業を終え、1906年(明治39年)帰国。同年5月に三菱合資会社副社長に就任。 私立成蹊学園や東京フィルハーモニック・ソサエティを開設するなど、文化面において多大な功績を残す。 1916年(大正5年)三菱合資会社社長に就任。 1930年代に経営の根本理念「三綱領」を記す。

三菱の歴史、岩崎小彌太の人物像についてはこちらをご覧ください

スポーツ振興の拡大

1969年(昭和44年)の三菱創業百年を機に、1974年(昭和49年)4月に埼玉県戸田市に戸田艇庫を新設、1975年(昭和50年)に東京都豊島区巣鴨にスポーツセンターを設立して社会体育の振興を事業の柱とした活動を始めました。
その後、巣鴨スポーツセンターは1994年(平成6年)リニューアルし、翌年10月にフルオープン。2003年(平成15年)5月には武道場「思斉館」が完成しました。また、同年10月に東京都調布市に調布グラウンドのオープンを経て、現在では、巣鴨(東京都)、調布(東京都)、戸田(埼玉県)を拠点に、幅広い年齢層を対象にしたスポーツの普及・振興および健康の維持増進に関する事業、並びに会員を対象としたスポーツ施設の運営に関わる事業を展開しています。

巣鴨スポーツセンター

巣鴨スポーツセンター

調布グラウンド

調布グラウンド

戸田艇庫

戸田艇庫