昭和20年(1945年)8月の敗戦とともに、三菱・三井・住友・安田等財閥企業は解体されることとなる。昭和21年12月、財閥解体の趣旨にのっとり、三菱養和会の名称より三菱を削除し、「財団法人養和会」と改称。三菱各社はいっせいに脱会し、改めて一会員として入会、あわせて会員を広く一般より募集することとなった。
 母体である三菱から離れた養和会は、たちまち財政難に陥り、会員数も激減のやむなきにいたる。急遽、会員募集の広告を行うなど努力を重ね、ようやく昭和24年末に、団体会員100余組、約8,200名、個人会員500余名、合計約8,700名にまで復調したのである。
 しかし、その後、朝鮮戦争による特需景気により、企業の福利厚生施設が次第に充実されるに従い、法人会員数は漸次減少を来たし、しばらくは会の発展も低迷期が続くこととなる。
 昭和32年8月、社員の親睦、慰安ならびに心身の健全な発達を図ることを目的として、三菱20社の出資により任意法人三菱倶楽部(のち三菱養和クラブと改称)が設立され、丸ノ内集会所(養和会館)・千歳船橋運動場・尾久艇庫を設け、柔剣道・弓道等各種スポーツ、碁将棋・集会室等を社員専用に提供、その管理を当養和会に委託した。ここにいたり、戦後当会の一会員に過ぎなかった三菱各社は、三菱グループとして当会との絆を固めることとなったのである。
 しかしながら、当会の財政上の困窮は依然として残され、再建に向け努力が続けられた。昭和46年4月、会の名称を旧名「三菱養和会」に復するとともに、三菱倶楽部との運営一元化が図られ、これを機に三菱グループとの協調体制のもとで、当会事業は再び発展に向かいはじめたのである。
 昭和49年には、戸田艇庫を新設、50年には、巣鴨体育館ならびに附属運動場をオープンするなど、近代的スポーツ設備を誇る会として生まれ変わり、さらに昭和56年、三菱養和クラブより全施設が三菱養和会に委譲された。その後巣鴨スポーツセンターは、平成6年のリニューアルを経て、平成7年10月にフルオープンし、今日の全容が整うこととなった。
 一方で、平成6年には千歳船橋スポーツセンター、平成12年には丸の内養和クラブが、数々の思い出深い活動と歴史を閉じた。
 平成15年には新施設が誕生。同年5月、巣鴨スポーツセンター敷地内に武道場「思斉館」が完成。この「思斉館」の名称は、かつて三菱養和会の巣鴨敷地内にあった思斉寮(三菱グループ各社独身社員の修養寮舎)に由来する。また10月には調布グラウンドがオープンした。

部報

菱華

養和会誌

三菱スポーツクラブ
ニュース

三菱養和ニュース

Fio
機関誌の推移 大正4年9月 機関雑誌「部報」創刊、第11号より「菱華」と改題、さらに財団法人三菱養和会設立に伴い昭和16年3月「養和会誌」と改題。その後三菱スポーツクラブ発足に伴い、昭和51年「三菱スポーツクラブニュース」を創刊、昭和55年「三菱養和ニュース」と改題、昭和62年「Fio」と改め、今日に至る。

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