三菱養和会の生い立ち、想い。
三菱養和会の生い立ち、想い。
三菱養和会の発祥
岩崎小彌太氏
1879年(明治12年)〜1945年(昭和20年)
三菱資料館所蔵
岩崎彌之助(三菱合資会社二代目社長)の長男として生まれる。東京帝国大学に入学、英国に留学し、ケンブリッジ大学にて学業を終え、1906年(明治39年)帰国。同年5月に三菱合資会社副社長に就任。私立成蹊学園や東京フィルハーモニック・ソサエティを開設するなど、文化面において多大な功績を残す。1916年(大正5年)三菱合資会社社長に就任。1930年代に経営の根本理念「三綱領」を記す。
三菱の歴史、岩崎小彌太の人物像についてはこちらをご覧ください
三菱養和会の発祥は、1914年(大正3年)9月創設の三菱倶楽部まで遡ります。
三菱合資会社の三代目岩崎久彌社長を会長に、岩崎小彌太副社長を副会長として創設された同倶楽部は、三菱社員の親睦、体育の向上が目的でしたが、単なる会社の福利厚生ではなく、社員の精神的修養、人格の錬磨を掲げていました。
三菱倶楽部
岩崎小彌太による
財団法人三菱養和会の設立
1940年(昭和15年)11月に三菱合資会社の岩崎小彌太社長は社業から三菱倶楽部を分離・改組して、独立の組織「財団法人三菱養和会」を設立し、自ら初代会長に就任しました。
その設立の経緯とその根本精神を「三菱養和会設立に際して」および「三菱養和会教条」で説いています。また、三菱養和会の名称は岩崎小彌太会長が定めたもので、この成語の典拠を訊ねてみると「後漢書」周槃伝に「神を嗇
て和を養う。栄利を以て其の生術を滑
さず」(つまらぬことに心を使わないで、精神を立派な目的のために用い、人の和を成し、功利栄達にのみ心を労して人の道を誤ってはならない)とあり、また、聖徳太子の憲法17条の劈頭に「和を以て貴と為し忤ふ無きを宗
と為す」とあります。いずれも「養和」の大切さを説いたものです。
岩崎小彌太社長の事業観は「事業は国家社会に奉仕すべきものであり、事業の盛衰は人にあり、社員の人格の養成が事業の隆盛を齎らす」との信念に基づき、それは「人の和」にあるとされました。これが岩崎小彌太の事業哲学であり、三菱養和会が設立された所以であります。
三菱養和会設立に際して
会長岩崎小彌太
和を養い和を貴ぶは三菱所属社員の伝統的精神なり。
事業に各種の分化あり組織に各般の分系有りと雖も、社員相互、相和し相睦び、協力一心、社務に鞅掌し、因
て以て国家の公益、民人の福祉に寄与せんとするは、創社以来不動の信条たり。是を以て本社の前身、三菱合資会社の時代に於ては早くも各地に於て社友親睦の諸設備を為し、大正9年に至りては、更に時勢の進運に顧みて其施設を整備し、旧来各支店其他鉱山炭鉱造船所等各部局に散在せる社交機関を横断的に統一し、茲
に三菱倶楽部を設立するに至れり。本部は之を本社内に置き、支部は之を主要都市並に各事業所に設く。斯くて倶楽部に於て経営挙行せる諸事業は機関雑誌の発行、講演会の開催、体育運動の励行、社員並に其家族の為めの慰安保健を目的とする休養寮舎の設立等、其種目二三にして止らずと雖も、要は社員各自が之に由りて健全なる身心を錬成し、上和下睦、総力を挙げて以て奉公の実を期するに在り。爾来20幾星霜、倶楽部は日に月に其内容を充実し、今日に於ては、支部の数約60、休養寮舎其他の施設の数90余、而
して設立当初僅かに3千3百を数へたる会員は、今や其数実に2万有余を算するに至れり。時局の急転と社運の隆昌とは更に組織の拡大強化を要請す。是に於て今次また倶楽部の制度を廃して、改めて財団法人三菱養和会を設立し、其事業一切を三菱社より分離して、之を独立の機関と為せり。思ふに理想と信条とに本づける不動の趣旨方針は両者素より其の揆を一にすると雖も、事業の維持拡張は之に由りて更に一段の便益を保証せらるべし。刻下邦国の情勢は内外一致、上下の戮力
に待つ。此の時に当り我三菱所属社員諸君が常に伝統の精神に回顧そ、先づ社内の和を養ふて然る後億兆一心の大和に貢献せんことは予の切に翹望して止まざる所なり。
昭和16年2月
三菱養和会教条
一、
日々は是れ好日なり人生は到る処修養の道場なりと知るべし
一、
書を読むは特り愉楽の為めのみに非ず知見を広めまた清明の心を保つに資すベし
一、
囲碁作詩歌など趣味に游びて間適の懐を暢ぶるもよし
一、
武道競技にいそしみて身心を練るは最もよし之によりて協同事に当るの慣習を得るは更に望まし
一、
理想を同じうせば我も人も表裏の一体なり養和の精神に生きて共に奉公の大義に進むべし
スポーツ振興の拡大
1969年(昭和44年)の三菱創業百年を機に、1974年(昭和49年)4月に埼玉県戸田市に戸田艇庫を新設、1975年(昭和50年)に東京都豊島区巣鴨にスポーツセンターを設立して社会体育の振興を事業の柱とした活動を始めました。
その後、巣鴨スポーツセンターは1994年(平成6年)リニューアルし、翌年10月にフルオープン。2003年(平成15年)5月には武道場「思斉館」が完成しました。
また、同年10月に東京都調布市に調布グラウンドのオープンを経て、現在では、巣鴨(東京都)、調布(東京都)、戸田(埼玉県)を拠点に、幅広い年齢層を対象にしたスポーツの普及・振興および健康の維持増進に関する事業、並びに会員を対象としたスポーツ施設の運営に関わる事業を展開しています。
2011年(平成23年)4月、新公益法人制度施行に伴い、東京都から公益財団法人として認定を受け、「養和の精神により、スポーツの普及振興を通じて、国民の心身の健全な発達に寄与し、豊かな人間性を涵養する」ことを目的とした「公益財団法人三菱養和会」となりました。
巣鴨スポーツセンター
調布グラウンド
戸田艇庫